2024年6月20日で「過労死等防止対策推進法」が成立して10年になりました。
この間、様々なところで「働き方改革」という名のもと働きやすい職場づくりを目指して、ストレスチェック制度やハラスメント防止法等が職場でも取り入れられてきています。
もう一度原点に戻って、自分達の「働き方」を見直してみませんか。
今日、「過労死」という言葉が何の違和感もなく聞こえるようになっています。日本のみならず海外においても「KAROSHI」という言葉で日本における働き過ぎによる健康被害の問題が注目されるようにもなりました。では、この「過労死」とはどういったことなのでしょうか?
1961年に初めて脳・心臓疾患に関する労災認定基準が設けられました。そこから1978年に上畑鉄之丞医学博士が、「過労死」を命名されました。上畑先生は、遺族からの「あんな無理をしなければ…」という言葉を機に、いろいろな職業・職種の中から脳血管疾患や心筋梗塞を発症して死亡した例から「深夜労働」「長時間労働」「責任の重い労働」「密度の高い労働」といった何らかの促進要因によって高血圧や動脈硬化などが悪化し、重い急性循環器障害を引き起こすという研究を進められました。そして、こうした一連の結末を「過労死」という言葉にされました。
現在における「過労死」の定義とは、
「業務における過重な負荷による脳・心臓疾患や業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする死亡やこれらの疾患のことです。(厚生労働省)」
とされています。仕事による長時間労働や過重労働などからくる過労・ストレスが原因の一つとなって、脳・心臓疾患、呼吸器疾患、精神疾患等を発病し、死亡に至ること。そして過労死という中には、過労により大きなストレスを受け、疲労がたまり、場合によっては「うつ病」などの精神疾患を発症し、自殺してしまう「過労自殺」も含まれます。
ある女性Aさんも同じようなことを経験した一人でした。Aさんは、30歳でメーカー企業の開発技術者として働いていました。新しい物を世の中に送り出すため日々開発という業務に邁進していました。Aさんにとっては、「モノづくり」という好きな仕事に就けているだけで日々充実していました。企業は、「利益を生み出さなければならない」ことから大好きだったモノづくりが苦痛へと変化していきます。もちろん開発者として従事し始めた時から大学の研究室と企業の開発室の違いは意識していました。短期間の開発業務に忙殺されていきます。何度繰り返しても思うようにできない。業務が増えるばかりで片付かない。今までにないミスや間違いの頻発。気が付けば1か月200時間を超える残業時間。自分の能力不足が起因した残業と自分を責め周囲に対して申し訳ないという気持ちで焦る。そんな中でAさんは、精神疾患を発病し1か月の休職をすることになりました。そして、1か月後、職場復帰しましたが、状況はさらに悪くなるばかり。自分が休職している間にさらに問題が複雑化してゆき、職場復帰後すぐに100時間の残業。そこから2か月後なんとか客先へ新しく出来あがった物を届けるために、上司と同僚3人が車で約500キロの道のりを運転し届けます。帰りの高速道路では、出口を間違えるようなこともありました。疲労困憊の状態でしたが、ようやく「ここで一段落か」と思った矢先です。その出張から3日後、上司が「重責に耐えられません」という遺書を残し、会社で自死をしました。それをAさんは、発見することとなります。そして、Aさんは、「上司の死は、自分のせいだ」と自分の不甲斐なさを責めはじめ、体調は、さらに悪化し、自殺未遂から入院することになりました。残念ながらAさんは、退院後、その会社を退職しました。
Aさんは、「なぜこんなことになったのだろう」、「好きなことを仕事としてやっていただけなのに」また、「真面目に働いている人が辛い世の中でいいのか?」と思うようになりました。今、Aさんは、「自分と同じ人を作りたくない」と働き方が問題で過労死や精神疾患にならない「働きやすい職場づくり」のための活動を始めています。
過労死は、一人、個人のことだけではありません。
職場での働き方が大きく起因している以上、職場全体で考えていく必要のあることです。
一人の体調不良が職場全体に連鎖していくことさえあります。
本当の意味での「働き方改革」をもう一度職場全体で見直してみませんか。
公認心理師・産業カウンセラー
大槻 久美子